「川上音二郎・貞奴物語」 博多座 

teru10162010-12-12

16時〜 7000円  「市民檜舞台の月」川上音二郎100回忌記念公演
いろんな人の思いが終結してこの舞台ができあがったと思う。 長谷川法世さんや大塚ムネトさんら10年越しの計画が発端となり、多くの人をまきこんで本日の集大成となった。 万感の思いであろう。 私は3時間ちょっとの舞台を「いい舞台だったね」という陳腐な感想しか口にできないのが歯がゆい。 なんといっていいかわからない、どんなに賞賛すればいいかわからない。 でもきっと彼等はやりとげたことだけで満足だろう。 川上音二郎を広く知って欲しいという思いを完結させたのだから。 オッペケペーで知られる音二郎は最初から役者ではなかった。 明治維新後の自由民権運動の志士として各所で演説しては中止を余儀なくされその数100回超! 当時悪制とされていた改良運動を隠れ蓑にして落語等で遊説を行うも失敗、芝居でやろうとしてオッペケペー節の大当たり! その後も次々と日本初の試みを繰り返し、中止させられたり逮捕されたり選挙に立候補したり。 売られて芸者になった貞奴と出会い結婚。 彼女の内助の功というより大いなる稼ぎで音二郎は自由に思うがままに生きていく。 途中挫折してボートで漂流したこともあったがそれも復帰のばねとするしたたかさ。 2度の劇場設立を実行し、海外公演も成功させ、女優となった貞奴とともに音二郎の躍進はとどまらない。 だが盲腸炎を患った音二郎は47歳の若さで死去。 最後まで舞台にこだわり自分の設立した帝国座で息をひきとった。 壮絶に生き抜いた音二郎とそれを飽くまで止めずに応援してきた貞奴。 この二人をギンギラ太陽’sの大塚ムネト、上田裕子が演じきった。 パンフレットに載る本当の音二郎、貞奴の写真ははっとするほど二人に似ている。 まるで二人の役者魂が乗り移ったかのようだった。 若き音二郎を演じた林雄大もまた素晴らしかった。 そしてその他の多くの出演者も音二郎が作った演劇の基盤をこの地元の福岡で演じられる意義を十分に感じていたに違いない。 この舞台を観た私と同じ観客は福岡出身の音二郎を誇りに思い、演劇人は今までやってきて間違いはなかったと感じられたのではないだろうか。 大塚ムネトさんと共同執筆された長谷川法世さんも坪内逍遥役でちょっぴり出演。 セリフがとんだのか壊れたレコードよろしく繰り返しはしても十分に客受けして花道で見得を切って戻られたw さすが(^▽^)  休憩中に歌舞伎ファンの従姉妹と偶然会った。 「なんだかね・・」と言っていたが、歌舞伎しかなかった日本に海外から演劇を取り入れた音二郎の尽力を知るって大事じゃないのかなと言葉には出さなかったけどつぶやいたものだった。 伝統芸能の歌舞伎だって重要だとは思うけど。 古きを重んじ新しきを知る。 時代は進んでいくのだから。